六華苑を見学しました(その3:補足)。
六華苑を見学しました(その3:六華苑&諸戸家&コンドルに関する補足)。
(六華苑とそれに関係する諸戸家、コンドルに関する補足です。)
中堤入口の信号を右折して、揖斐川を渡り、橋を渡ったところの伊勢大橋西詰の信号を
左折して揖斐川沿いに少し走ったところにあります。
六華苑は、桑名市の実業家の二代目諸戸(もろと)清六の邸宅として、大正2(1913)年に
建設されました。
洋館部分は、英国人建築家ジョサイア・コンドルの作品として知られています。
コンドルの作品のほとんどは、関東地方にありましたが、関東大震災や戦災によって
失われており、地方都市にあるものとしては、唯一のものです。
であり、それを仲介したのは、大隈重信ではなかったかと言われているとのことです。
平成3(1991)年に諸戸家から桑名市に寄贈され、「六華苑」として公開されました。
初代諸戸清六は、木曽岬の庄屋の家に生まれましたが、父清九郎が塩の取引で
失敗し、家が没落して、桑名に引っ越しました。
18歳の時に父の名をひっくり返して清郎九つまり「清六」と改名し、米の売買を主に、
わずか3年で父のつくった膨大な借金を返済後、明治政府の政官界と関係を結んで
政商となり、事業を拡大しました。
そこでなした財で田畑や山林を購入して、日本一の山林王となりました。
清六は、「時間是金也」、つまり「時は金なり」を家訓としており、ご飯のおかわりの
時間も惜しむため、2杯のお椀を用意させたという話です。
二代目諸戸清六は、父の事業を受け継ぎ、さらに社会貢献などを進めたそうです。
そして、この六華苑を建設しました。
英国人建築家のジョサイア・コンドルは、明治10(1877)年に、お雇い外国人として
辰野金吾などの多くの建築家を育てました。
日本文化に関心を持ち、日本画に習熟するとともに、日本人女性と結婚して、
日本で生涯を全うしたそうです。
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