関宿の街並み その3 福蔵寺と旅籠玉屋 (三重県亀山市)

関宿の街並み その3 福蔵寺と旅籠玉屋 (三重県亀山市) 

もう5月も終わりますが、ブログの中では、まだGW中です。。。
まだまだ関の街並みは続きます。
 
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地蔵院から東に進むと、東海道の筋からは北側の少し奥まったところに、織田信長の三男である
織田信孝卿菩提所 福蔵寺がありました。
信孝は2番目に生まれましたが、母の身分が低かったため、その直後に生まれた信雄が
次男となったとされています。
 
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立派な門には、・・・
 
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織田家家紋の織田木瓜がきれいに染め抜かれています。
 
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本堂の前には、ちょうどフジの花がきれいに咲いていました。
本堂にかけられている五色の暖簾状のもの?がかなり派手でした。
(一緒に行った友人たちが写っていますが、気にしないでくださいね。)
 
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福蔵寺は、天台真盛宗に属し、天正十一年に織田信孝公の菩提寺として創建されました。
 
信孝は、信長、信忠の死後、信雄との間で織田家の主導権を争いましたが、
味方であった柴田勝家賤ヶ岳の戦い豊臣秀吉に敗れ、信雄によって岐阜城
おわれた信孝は自害させられました。
 
再び東海道筋に戻ります。 
 
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  これが、前回の記事にあった関宿の特徴をもっともよく表す、鈴鹿の山々を背景にした
地蔵院の屋根を中町の街並み越しにみたところ」でしょうか?
ちょっと遠いかもしれませんが、写真ブロガーとして、いちおう撮ってあったので、よかったです。
 
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 郵便局前にあった復元された高札場です。 
 
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 関宿旅籠玉屋歴史資料館です。
二階の漆喰で固めた堅格子は、屋号にちなんで、宝珠の玉をかたどった虫籠(むしこ)窓
となっています。
参勤交代の大名は、本陣、脇本陣に泊りましたので、旅籠は、町人などの旅行者のための
今で言う旅館でした。
「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と詠われた関を代表する旅籠
だったそうで、市文化財に指定されている江戸時代の旅籠建築を修復し、旅籠で使われて
いた道具類、浮世絵・掛軸などの美術品類、旅に関する歴史資料などを展示して、江戸
時代に栄えた旅籠の姿が再現されています。
なお、入館料は、関まちなみ資料館と合わせて300円です。
 
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 江戸時代の関では竹火縄が特産品だったそうです。
 
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 主屋一階です。
 
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 急な階段を登ると、二階にも上がれます。
 
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主屋とつながっていますが、離れです。
武士などが泊まったと考えられる玉屋で最も上等な座敷です。
欄間彫刻は玉屋十二代主人の作と伝えられているそうです。
 
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離れからは庭を望むことができます。
 
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土間です。
 
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土間から井戸端を通って奥に入っていくと、…
 
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土蔵があります。
中も見学することができます。
(写真が無いので、撮影不可だったように思います。時間が経ち過ぎて、記憶が薄れて
きてしまっていますが。。)
 
 
関の街並み巡りは、もう少しだけ続きます。
飽きてこられた方もいらっしゃるかもしれませんが、もうちょっとだけお付き合いください。
 
参加しています
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関宿旅籠玉屋歴史資料館
[住所] 三重県亀山市関町中町444-1
[休館日] 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)
[開館時間] 9:00~16:30
[電話番号] 0595-96-0468 
[電話番号]