中山道垂井の一里塚(垂井町)に行きました。
中山道垂井の一里塚(垂井町)に行きました。
国道21号線と交差します(ただし、その前にJRの踏切があり、一方通行のため、
車で通り抜けることはできません)。
旧中山道で、その先の南側に垂井の一里塚があります。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101072840.jpg)
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101072850.jpg)
一里塚は、旅人の休憩や人馬の駄賃のため、徳川家康が慶長九(1904)年から8年の
歳月をかけて江戸日本橋から一里(約4㎞)ごとに、主要街道に築かせたものです。
垂井一里塚は112番目で南側の一基だけが残り、国の史跡に指定されています。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101072900.jpg)
西軍と対峙したそうです。
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101072910.jpg)
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101072921.jpg)
この建物は、江戸末期に松尾芭蕉ゆかりの地に建てられた秋風庵を、明治に入って
今のサービスエリアのようなものですね。
大垣新四国八十八ヶ所弘法の札所として、信仰の対象でもあるそうです。
垂井の一里塚
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