中山道垂井の一里塚(垂井町)に行きました。

中山道垂井の一里塚(垂井町)に行きました。

前回の中山道垂井宿の西の見付を過ぎてそのまま進むと、現在の中山道である
国道21号線交差します(ただし、その前にJRの踏切があり、一方通行のため、
車で通り抜けることはできません)。
 
大垣市方面からは、国道21号線を西に進み、日守の交差点を左に入る道が
中山道で、その先の南側に垂井の一里塚があります。
 
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一里塚は、旅人の休憩や人馬の駄賃のため、徳川家康が慶長九(1904)年から8年の
歳月をかけて江戸日本橋から一里(約4㎞)ごとに、主要街道に築かせたものです。
垂井一里塚は112番目で南側の一基だけが残り、国の史跡に指定されています。
 
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また関ヶ原の戦いの際には、東軍の浅野幸長がこの地に陣を構え、南宮山に陣取った
西軍と対峙したそうです。
 
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この建物は、江戸末期に松尾芭蕉ゆかりの地に建てられた秋風庵を、明治に入って
この地に移し、日守の茶所として、中山道を通る人々の休憩所に利用されていたそうです。
今のサービスエリアのようなものですね。
大垣新四国八十八ヶ所弘法の札所として、信仰の対象でもあるそうです。
 
 
垂井の一里塚
 
 
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