中山道垂井宿跡(垂井町)に行きました。その2

中山道垂井宿跡(垂井町)に行きました。その2

前回中山道垂井宿跡の散策の続きです。
 
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問屋場跡から西に進むと、大名などの身分の高い人が宿泊した本陣跡があります。
しかしここも美江寺宿や赤坂宿と同様に、何の跡形もなく、石碑だけが立っています。
 
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本陣跡から西に進むと、道の南側に南宮大社大鳥居があります。
この鳥居をくぐって南に進むと、美濃国一宮南宮大社があります。
またその途中に垂井の泉がありますが、これもまた後日です。
 
寛永一九(1642)年江戸幕府第三代将軍徳川家光南宮大社の社殿を再建した際に、
石屋権兵衛がこの大鳥居を約四百両で建造したそうです。
また、この付近では六斎市といって月に6回五、九の日に市が立ち、近郷の人々で
賑わったそうです。
 
 
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さらに西に進むと、油屋宇吉家跡があります。
江戸時代の文化末年(1817)に建てられ、多くの人を雇って、油商売を営んでいたそうです。
その後明治の初めに小林家が亀屋という旅館を営んでいだそうです。
土蔵造りに格子を入れ、軒下にはぬれ蓆かけの釘があり、代表的な商家の面影を残す
建築だそうです。
 
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その前にある本龍寺の山門や書院の玄関は、脇本陣から移築したものだそうです。
寛永一一(1634)年に3代将軍家光が朝食をとり、明治一一(1878)年に明治天皇
休憩をとったお寺だそうです。
 
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さらに西に進むと、少し道が曲がっていって、小さな川を渡る手前に、西の玄関口である
西の見付があります。
 
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安藤広重の絵に、雨が降る中山道の松並木の中を大名行列が西の見付に入ってくるところが
描かれています。
 
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西の見付から東の垂井宿跡方面を眺めたところです。
江戸時代の面影を残す中山道の垂井宿跡を散策しました。
 
中山道垂井宿跡
 
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