中山道垂井宿跡(垂井町)に行きました。その1
お久しぶりです。
先週は、風邪をひいて、かなり熱が出ました
。
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インフルエンザの予防接種はうっていましたが、それでも罹る場合があるということで、
鼻に棒のようなものを挿して検査をしてもらったところ、インフルエンザではありません
でしたが、会社も休みました。
そのため、ブログもしばらくお休みしていました。
中山道垂井宿跡(垂井町)に行きました。
垂井宿跡(垂井町)に行きました。
ブログの順番は前後していますが、江戸方面からは、美江寺宿、赤坂宿、垂井宿の
順番につながっています。
道の両脇に松並木が残っています(美濃路については、またの機会にします)。
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![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101080110.jpg)
道しるべがあります。
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![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101080130.jpg)
現在では桜と鯉のぼりで有名な相川を渡ると垂井宿に入ります。
江戸時代には、防衛上の観点からも、河川には橋が架けられていないことが多く、
人足渡しによって、川を渡りました。
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101080140.jpg)
左折して、相川を渡ったところが、垂井宿の東側の玄関口である「東の見付」です。
ここで、宿場の役人が大名などを出迎えました。
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![イメージ 7](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101080200.jpg)
大きな案内マップが立っています。
![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101080210.jpg)
![イメージ 9](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101080220.jpg)
案内マップから、右手に進むと、宿場町にはつきものですが、道路がクランク状に
なっています。
本陣にいる大名などが攻められにくいように、わざと道をまげてある枡形です。
その北側には、二百年ほど前から現在まで営業を続けているという亀丸屋という
旅籠があります。
(中の様子などは、タルイピアセンターの中の歴史民俗資料館が詳しいですが、
それはまた後日登場予定です。)
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![イメージ 12](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101080100.jpg)
その先の南側に垂井宿の問屋を勤めていた金岩家があります。
立派な旧家です。
代々、彌一右衛門を名乗り、荷物の運送や、相川の人足渡しの手配もしていた
そうです。
江戸時代の面影を残す垂井宿跡ですが、この続きはまた次回です。
中山道垂井宿
枡形のあたり
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