中山道垂井宿跡(垂井町)に行きました。その1

お久しぶりです。

先週は、風邪をひいて、かなり熱が出ました
インフルエンザの予防接種はうっていましたが、それでも罹る場合があるということで、
鼻に棒のようなものを挿して検査をしてもらったところ、インフルエンザではありません
でしたが、会社も休みました。
そのため、ブログもしばらくお休みしていました。
 

中山道垂井宿跡(垂井町)に行きました。

風邪をひく前ですが、赤坂宿美江寺宿に続いて、中山道58番目の宿場町である
垂井宿跡垂井町)に行きました。
ブログの順番は前後していますが、江戸方面からは、美江寺宿、赤坂宿、垂井宿の
順番につながっています。
 
大垣市中心部からは、県道31号線を西に進み、垂井町に入って、綾戸口の交差点を
直進すると、そこが東海道の宮宿から垂井宿までを結んだ脇往還である美濃路です。
道の両脇に松並木が残っています(美濃路については、またの機会にします)。
 
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そのまま進むと、相川を渡る前に、美濃路中山道が合流する追分(交差点)の
道しるべあります。
 
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現在では桜と鯉のぼりで有名な相川を渡ると垂井宿に入ります。
江戸時代には、防衛上の観点からも、河川には橋が架けられていないことが多く、
人足渡しによって、川を渡りました。
 
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左折して、相川を渡ったところが、垂井宿の東側の玄関口である「東の見付」です。
ここで、宿場の役人が大名などを出迎えました。
 
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大きな案内マップが立っています。
 
 
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案内マップから、右手に進むと、宿場町にはつきものですが、道路がクランク状に
なっています。
本陣にいる大名などが攻められにくいように、わざと道をまげてある枡形です
 
その北側には、二百年ほど前から現在まで営業を続けているという亀丸屋という
旅籠があります。
(中の様子などは、タルイピアセンターの中の歴史民俗資料館が詳しいですが、
それはまた後日登場予定です。)
 
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その先の南側に垂井宿の問屋を勤めていた金岩家があります。
立派な旧家です。
代々、彌一右衛門を名乗り、荷物の運送や、相川の人足渡しの手配もしていた
そうです。
 
江戸時代の面影を残す垂井宿跡ですが、この続きはまた次回です。
 
中山道垂井宿
 
枡形のあたり
 
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