中山道赤坂宿跡(大垣市)を歩きました。その3

中山道赤坂宿跡(大垣市)を歩きました。その3

前回までの続きです。)
 
文久元(1861)年の皇女和宮降嫁の際、赤坂宿には大行列一行が宿泊しましたが、
赤坂宿では、見栄えを良くするため、街道沿いにあった古家の建替えや空き地に
新築を行い、54軒もの家が建て直され、お嫁入り普請と呼ばれたそうです。
ただし、時間がなかったため、表側だけが二階建てとなったそうです。
 
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在も残っている家もあるそうです。
ここは、お嫁入り普請探訪館として見学できるようです。
大垣市景観遺産の27番に指定されています。)
 
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江戸を一と数えて、57番目の宿場町ということで、五七処という土産物屋もあります。
 
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大垣市赤坂町は、江戸時代には江戸と京都を結び美濃国を横断していた中山道
宿場町の赤坂宿として、明治時代以降は、石灰、大理石などの産地として、
栄えていました。
 
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赤坂周辺には、明星輪寺金生山神社子安神社円興寺赤坂港跡の他にも、
お勝山、お茶屋敷跡(ボタン園)、いくつかの古墳、美濃国分寺跡などの史跡や、
化石館などもあり、改めて見てみると、おもしろいところがいくつかあります。
うまくやれば、もっと観光客も来てくれるのではないかなと思います。
 
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