中山道赤坂宿跡(大垣市)を歩きました。その2

中山道赤坂宿跡(大垣市)を歩きました。その2

前回の続きです。)
西濃鉄道の踏み切りを越えて、さらに西に進むと、南側に中山道赤坂宿本陣跡があります。
 
大名が、江戸と領地の間を行き来した参勤交代制度によって、江戸と各地を結ぶ街道沿いに
宿場町が整備されました。
本陣とは、大名や公家などの宿泊施設として指定されていた家です。
一般の人は、本陣には、泊まることができませんでした。
 
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この赤坂宿では、馬淵家、平田家、谷家、そして矢橋家が本陣役を受け継いだそうです。
皇女和宮もここに宿泊しました。
しかし現在は跡形も無くなり、本陣公園となっています。
 
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そこからさらに西に進むと、特にこのあたりに、江戸時代の面影を残す風情のある家並みが
両側に続いています。
この写真の奥の方で、道路がクランク上に折れ曲がっています。
これは枡形と呼ばれ、本陣に宿泊している大名が攻められにくいように、道路が
折り曲げ
られています。
 
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枡形の先にある交差点が赤坂宿の中心地で、東西に走る中山道から、北の華厳寺方面に
進む谷汲街道、南の伊勢方面に行く養老街道が伸びる当時の交通の要所でした。
今で言うと、楽田と河間の交差点のようなものですね。
(このマップは、本陣跡にあったものなので、現在地は違います。)
北東の角に道しるべが立っています。
 
 
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矢橋家住宅です。
石灰などで財をなした、たいへん立派な豪邸です。
 
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その西にあるのが、本陣に泊まりきれなかった場合や、複数の大名などの宿泊する場合に
使用された脇本陣です。最近まで旅館として、営業されていたようです。
大垣市景観遺産の25番に指定されています。
 
江戸時代の面影を残す中山道赤坂宿跡を歩いて、当時の赤坂宿の繁栄の様子を
思い浮かべることができました。
 
(もうちょっとだけ続きます。)
 
中山道赤坂宿跡
[住所] 大垣市赤坂町
 
道しるべのあたり
 
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