円興寺(大垣市)で紅葉とクスノキを見ました。その2

円興寺(大垣市)で紅葉とクスノキを見ました。その2

前回の続きです。
 
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円興寺は、延暦九(790)年に、比叡山延暦寺を開いた最澄伝教大師)により、
青墓の大炊氏の帰依を得て、聖観音立像を本尊として創建された、西濃地方でも
有数の古刹です。当時は、現在の場所の東側の山頂にありました。
 
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円興寺手前にある川の橋の上で、のみを研いで、仏像を彫ったそうです。 
その川は、下流荒崎地区にしばしば水害をもらたしている大谷川です。
 
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平安時代の末期に流行した今様(当時の流行歌)に傾倒していた後白河法皇は、
梁塵秘抄(りょうじんひしょう)という歌謡集を編纂しました。
その際に、青墓出身の今様の名手の乙前に弟子入りしたそうです。
その当時を偲び、碑が建てられています。
 
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山頂の旧円興寺跡地には礎石が残り、源朝長(ともなが)の墓、源義朝源義平
供養塔などが残っているそうです。
平治元(1159)年の平治の乱に敗れた源義朝(よしとも)は、長男義平(よしひら)、
次男朝長、三男頼朝と共に、京都から青墓の大炊長者を頼って落ちのびてきて、
再起を図ろうとしましたが、平氏の追手が迫る中で、重傷を負っていた朝長は、
父義朝に頼んで、首を討たれたそうです。
 
中世以前には、この青墓の地には、当時の幹線道路の東山道の宿場町があり、
かなり繁栄していたそうです。
これらのことからも、当時の繁栄や文化が偲ばれます。
 
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円興寺は中世にも勢力を誇っていたようですが、天正二(1574)年、織田信長
焼き討ちにあい、全伽藍を焼失しました。この際本尊が勝手に動き、石の上へ
難を逃れたということから、本尊は石上観音とも呼ばれているそうです。
万治元(1658年)に再興され、現在地へ移転したそうです。
今は静かで、紅葉で知られている大垣市青墓町、円興寺ですが、古代から中世に
かけては、都の文化も伝わっており、おおいに繁栄していました。
 
 
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