十七条城跡(瑞穂市)に行きました。
十七条城跡(瑞穂市)に行きました。
今回もマイナーな城跡巡りです。
福田橋東の交差点を右折し、揖斐川を鷺田橋で渡って、古橋外浦の交差点を左折し、
(瑞穂市)に行きました。
この十七条という地名は、古代の条里制のなごりだと思います。
先日の美江寺城跡とは、数百メートルの近さです。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101034110.jpg)
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101034140.jpg)
現在の城跡は、熊野神社などになっています。
本丸の跡は、もう少し南側のようです。
周辺は、工場や民家のほか、柿畑が広がっている静かな土地です。
周辺は、工場や民家のほか、柿畑が広がっている静かな土地です。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101034120.jpg)
神社の境内に説明板が立っています。
案内板などよると、十七条城は、南北朝時代初めに船木頼胤が築いたお城です。
享禄年間より林氏の居城となりました(徳川家康に仕えていたとなっていますが、
この時代に徳川家康で正しいでしょうか?)。
お福(のちの春日局)の夫となる林正成は元亀二(1571)年、この十七条城で生まれました。
成人して、大垣の曽根城城主稲葉重通(一鉄の庶長子)の養子となり、お福(のちの春日局)と
結婚し、稲葉正成となり、十七条城で十七条藩一万石を治めたそうです。
その3代後、後継ぎがいないため、家が断絶となり、城も廃城になったそうです。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101034130.jpg)
なりましたね。
「春日局ゆかりの地」の石碑も立っています。
ただし、春日局は離婚した後に乳母になっていますので、この地にいたとしても、
そのころ春日局と呼ばれていたわけではないのではないかな?と思います。
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101034200.jpg)
十七条城跡
[構造] 平城
[駐車場] なし
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