めぐみ地蔵尊(瑞穂市)に参拝しました。
めぐみ地蔵尊(瑞穂市)に参拝しました。
県道171号線を北上し、樽見鉄道線の踏切を越えて、重里の交差点手前の右側にある
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![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101060800.jpg)
柿畑などが広がっている静かな農村地帯に、小さな祠が立っています。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101060810.jpg)
現地の説明板によると、かつては「子育地蔵」「延命地蔵」とも呼ばれていましたが、
何時のころからか、「めぐみ地蔵」と呼ばれるようになったそうです。
手で作られ、大阪から水路で大垣まで運び、大垣から中山道で関まで運ぶ途中、
十五条村の路傍に仮泊したとき、「此の地に留まる」との夢告により、一宇を建立
して、祀られたと伝えられているそうです。
たまたま通り掛かったのですが、子育てに御利益がありそうなので、お参りしました。
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![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101060840.jpg)
この付近は、古代から開発されていたところで、土地を約109メートル四方で区画整理
する条里制の遺構が近年まで残っていました。
それらは、戦後の土地区画整理事業により無くなりましたが、後世に伝えるために
小公園がこのめぐみ地蔵前に作られています。
めぐみ地蔵
[駐車場] なし
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