軽海西城跡(本巣市)に行きました。

軽海西城跡(本巣市)に行きました。

今回もお城巡りです。
奥さんが赤ちゃんを連れて里帰りしているので、その途中に立ち寄っています。
 
大垣市方面からは、県道53号(岐阜関ケ原)線を東に進み、リバーサイドモールや
リオワールドの前を過ぎ、軽海城前の交差点で北に左折します(何度も通っている
道ですが、交差点の名前が「軽海城前」とは今まで気づきませんでした)。
左折してすぐにあるドラックユタカの手前の路地を左折して西に入り、
その先の路地を右折して北に入ったところにある軽海西城跡に行きました。
 
 
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現在の城跡は、 円長寺というお寺などになっています。
リオワールドなどの大型商業施設が集まっている地区のすぐ東側ですが、
周辺は、静かな集落や柿畑などになっています。
 
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お寺の前には、消えかけていますが、「軽海西城跡」の木製の碑が立っています。
 
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案内板などによると、軽海西城の創建の時代は明らかではありません。
土岐氏の時代には、稲葉氏が数代居住し、その後、西村勘九郎(のちの斎藤道三)も
一時居城としていたとのことです。
永禄年間には、織田信長の家臣池田恒興の家老片桐俊元が修築して、居城とし、
永禄四(1561)の織田信長斎藤龍興が戦った軽海合戦が、この辺りで争われました。
その後、天正十七(1589)に豊臣秀吉の家臣一柳伊豆守直末が大垣城から軽海西城に
移り、六万石を領有しました。
直末は翌年天正十八(1590)の小田原の北条氏攻めに従い、伊豆山中で戦死し、
城は廃城になりました。
その後子孫が菩提を弔うために建てたのが、この円長寺とのことです。
 
今は遺構もなく、その面影はありませんが、
斎藤道三や、織田信長など、歴史上有名な武将も関係したお城の跡でした。
 
軽海西城跡
[住所] 岐阜県本巣市軽海
[構造] 平城
[遺構] なし
[現状] 円長寺
[駐車場] なし
 
 
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