桑名市の七里の渡跡に行きました。

七里の渡跡(三重県桑名市)に行きました。

大垣市方面からは、揖斐川長良川の背割り堤の県道106号線を走りきり、
中堤入口の信号を右折して、伊勢大橋で揖斐川を渡り、橋を渡ったところの
伊勢大橋西詰の信号を左折して、揖斐川沿いに県道613号線を走り、
橋を渡った交差点を左折したところにある七里の渡(しちりのわたし)
三重県桑名市)に行きました。
 
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江戸時代、江戸と京都を結んだ東海道の宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から
桑名宿(三重県桑名市)の間の海上を渡船で結んでいました。
その距離が七里(28km)あったことから、七里の渡と呼ばれていました。
船で約四時間かかったようです。
 
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揖斐川に望む六華苑と桑名城跡(九華公園)の間にあります。
 
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七里の渡は、三重県指定史跡になっています。
この前の道が、旧東海道で、京都まで続いていました。
七里の渡前の桑名宿は、宮宿に次ぐ東海道第二の宿場町だったそうです。
 
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桑名は伊勢の神宮への玄関口だったことから、天明年間(1781~1789)に
伊勢神宮の「一の鳥居」として大鳥居が建てられ、それ以降、伊勢神宮遷宮
ごとに建て替えられました。
常夜燈は江戸や桑名の人達の寄進によって建立され、元は鍛冶町の東海道
筋にありましたが、ここへ移築されました。
元は天保四(1833)年建立のものでしたが、昭和37年に台風で倒壊したので、
台石は元のままですが、上部は多度大社から移されたもので、安政3(1856)年
の銘があるそうです。
 
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昭和34(1959)年の伊勢湾台風以降の高潮対策工事のため、渡船場
道路の間に防波堤が築かれたため、現在はかつての姿ではありません。
 
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七里の渡跡から揖斐川沿いに南東方向に少し歩くと、桑名城蟠龍櫓が、
水門の管理事務所として、元されています。
 
かつては東海道を通る人が七里の渡を渡る際に必ず目にした桑名のシンボルで
あり、有名な歌川広重浮世絵「東海道五十三次」にも描かれています。
 
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2階は、展望室になっています。
堤防の上から、揖斐川長良川の方向を望むと、長良川河口堰
見えました。
 
江戸時代に東海道の往来で栄えた桑名市の七里の渡跡で
当時の繁栄に思いを馳せました。
 
七里の渡跡
[住所] 桑名市東船馬町
 
 
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