桑名城跡に行きました。
桑名城跡(三重県桑名市)に行きました。
中堤入口の信号を右折して、揖斐川を渡り、橋を渡ったところの伊勢大橋西詰の信号を
左折して揖斐川沿いを走り、市街地に入って田町の交差点を左折したところにある
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城の形から、扇城の別名でも呼ばれていました。
交通の要衝でもありました。
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(ただし定信は桑名には来なかったそうです)。
最後の藩主は、海津市歴史民俗資料館で出てきた高須四兄弟の一人である定敬です。
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とても日差しが強かったので、影が映っています![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101160050.gif)
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現在、桑名城跡は、九華公園という公園になっています。
中国に九華扇という扇があり、桑名城が、扇城の名と九華(くはな)の読みを
かけて、九華とも呼ばれていたことから、つけられた名前とのことです。
桜や菖蒲の名所で、プールなどもあります。
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城は破壊されてしまいました。
そのため、残念ながら、城の建物は残されておりません。
しかし広い堀が残されており、見ごたえがあります。
石垣は、四日市港の造成に使われたため、当時のものはほとんど残されておらず、
ここに見られるものは公園の整備の際に作られたものです。
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![イメージ 10](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101050450.jpg)
神戸(かんべ)櫓跡です。
天守閣を櫓としました。
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本丸の東南にあった辰巳櫓跡です。
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櫓の跡の上には、大砲が置かれています。
しかし由来は不明とのことです。
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堀の中に東屋があります。
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五十七回にも及んだが、いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかった
と伝えられている勇将です。
戦国最強と呼ばれた武田家からも 「家康に過ぎたるものは二つあり、
唐のかしらに本多平八」と賞賛されたと伝えられています
(唐のかしらとは、当時流行っていたヤクの毛で飾った兜のことです)。
桑名城跡には、城の建物などはありませんが、広い堀が残されており、
当時の譜代大名の立派な城の規模を偲ぶことができました。
桑名城跡
[住所] 桑名市吉之丸5-1 九華公園
[駐車場] あり(有料)
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