川(革)手城跡~美濃国守護土岐氏の居城~(岐阜市)

川(革)手城跡~美濃国守護土岐氏の居城~(岐阜市

今回は、かなりマイナーなお城です。
アクアトトからの帰り道に、岐阜市の県道1号線と県道14号線、77号線の交差点
である城東通3の交差点から、住宅街を南西に入った所にある川(革)手城跡
立ち寄りました。
 
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済美高校(現在は共学のようです)の校地の間を通る道沿いにあります。
写真左手の木が茂っている場所に碑が立っています。
いちおう公道のようですが、道路の上を渡り廊下が通っていたりして、まるで
学校の敷地内のようになっています。平日だと入りにくいのかもしれません。
マイナーなお城にも詳しいサイトを見ていったのですが、なかなか見つけられません
でした。
 
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石碑が見つかりました。
 
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ここに城があったことは、済美高校生以外には(にも?)、ほとんど知られていないのでは
ないかと思われます。
 
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 土岐氏は、足利氏の室町幕府成立に大きく貢献し、美濃国守護職となりました。
第三代の頼康の時代には、美濃・尾張・伊勢の三ヵ国の守護を兼務して、最盛期を迎え、
それまでの長森城が手狭となったため、文和二(1353)年にこの地に川(革)手城を築き
ました。それ以降、川(革)手城は第十一代頼芸まで土岐氏の居城となり、南北朝の戦いと
応仁の乱により、都から公家などの文化人がこの川(革)手に逃れたため、この地に、
都風の文化が栄えることになりました。
 しかし船田の乱により、城は焼け、土岐頼芸を追放した斎藤道三稲葉山城
居城とし、川(革)手城は、廃城になりました。
 
参加しています
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川(革)手城跡