関宿の町並み その1 西の追分まで(三重県亀山市)

関宿の町並み その1 西の追分まで(三重県亀山市

 亀山紀行もそろそろ終盤です。
うなぎの初音」でおいしいうなぎ丼を食べた後、現在の国道1号線の1本北側にある
東海道関宿の町並み散策に行きました。
 
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 町並みの中央にある地蔵院の近くにある観光駐車場に車をとめ、そこから宿場町の
一番西側の西の追分まで歩き、そこから1.8キロある宿場町の反対側の東の追分まで
歩いて、また中央にある駐車場に戻りました。
その流れに沿って、順番に紹介します。
 
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 関宿は、江戸時代に東海道五十三次の四十七番目の宿場町として、参勤交代や
伊勢参りの人々などで賑わいました。
現在でも、東西1.8キロの間に、江戸から明治時代にかけて建てられた古い町家が
200軒あまり残っており、昭和59年に国の重要伝統的建造物保存地区に指定されました。
 
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こちらの建物の二階の両側には、
 
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漆喰彫刻の鶴と、
 
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亀がついています。
 漆喰彫刻や瓦細工は、子孫繁栄・家運長久などを願って、職人が技を凝らして作ったもの
だそうです。
 
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観音院です。
 
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嵯峨天皇の御代(八二〇)に開創されたと言われ、中世には関氏の祈願寺として栄えた
由緒あるお寺のようです。
 
 
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逆光ですが、県指定史跡に指定されている西の追分に着きました。
東海道と大和・伊賀街道の分岐点、追分(おいわけ)です。
昔、東海道を京に向かって登った旅人は、ここから鈴鹿山脈に向けて、頑張って坂道を登って
いったんですね。
 
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内部には、休憩所と見学施設、鈴鹿関跡の調査結果がパネル展示されています。
 
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教科書でも習った、東山道不破関美濃国)、東海道鈴鹿関(伊勢国)、北陸道
愛発関(越前国)の古代三関の一つ、鈴鹿がこの関の地にありました。
 
ここから、反対向いて、東の追分に向けて、ゆるやかな下り坂をおりていきました。
写真を大量に撮ったので、この調子では、いつ終わるかわかりませんが、今回はこれぐらいです。
 
 
おまけです。
 
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ぜんぜん関係ありませんが、パンダトレノがありました
状態もよさそうですし、これはかなり貴重ですね。
 
参加しています
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