安土城 其之二~史上初の天主閣がそびえ立っていた本丸跡~(近江八幡市)
安土城 其之二~史上初の天主閣がそびえ立っていた本丸跡~ (近江八幡市)
安土城の続きです。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101045630.jpg)
城郭資料館にあった地図です。
中央下の駐車場から、一直線の階段を登り、左に折れたところにあるのが織田信忠邸跡で、
そこで道は二手に分かれ、まっすぐ左下の方に下りていくと総見寺跡に向かいますが、
右に曲がって本丸方面に登っていきます。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101045730.jpg)
黒金門跡です。直角に折れ曲がった虎口になっています。
ようやく城らしい造形になっています。
ようやく城らしい造形になっています。
![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101045831.jpg)
少し左手に登ったところが二の丸跡です。
![イメージ 9](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101045840.jpg)
ここに織田信長廟が建てられています。
![イメージ 10](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101045850.jpg)
本丸跡です。
![イメージ 11](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101045641.jpg)
ここに京都の内裏清涼殿に非常によく似た建物が建てられていたようです。
案内するつもりであったと考えられています。
![イメージ 12](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101045650.jpg)
そこから階段を少し登ると、天主閣跡です。
![イメージ 13](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101045700.jpg)
石垣の上のほうが崩れてしまっているようですが、不等辺八角形の天主台です。
かつてこの上に、城郭資料館で見たあの天主閣がそびえ立っていました。
![イメージ 14](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101045710.jpg)
![イメージ 15](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101045720.jpg)
甥の津田信澄とネットワークを組むことができ、安土から高速船で京都、岐阜方面と
結ぶことで、各方面の戦陣と連絡をとり、出陣できる配置になっていました。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101045740.jpg)
灰となって、幻の城となってしまいました。
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101045750.jpg)
天主台から織田信忠邸跡まで戻り、地図の左下の方にいくと、総見寺跡があり、
三重塔があります。天文二四(1454)年の建立で、別の寺から移築されたものです。
城の内部に寺があるのは、珍しいです。
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101045800.jpg)
その下には、二王門があります。
元亀二(1571)年の建立とされ、これも別の寺院から移築されたものとのことです。
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101045810.jpg)
門の両脇には応仁元(1467)年作の仁王像(金剛力士像)も番をしております。
この道は、百々橋口道と呼ばれていますが、そこから外に出ることはできません。
そこから、山すその道を歩くと、先ほどの羽柴秀吉邸跡あたりに戻ってきました。
そこから、山すその道を歩くと、先ほどの羽柴秀吉邸跡あたりに戻ってきました。
少し腫れました。気をつけてください。
ランキングに参加してます。