清洲城天守閣~関東の巨鎮と呼ばれた城~(清須市)

清洲城天守閣~関東の巨鎮と呼ばれた城~(清須市

清洲城の続きです。
 
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清洲公園から、五条川を渡って、いよいよ天守閣に向かいます。
 
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川を渡り、門をくぐって、中に入ります。
 
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門の脇にある壁は、織田信長が戦勝のお礼として、熱田神宮に作った信長塀を模したものです。
 
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天守閣を北の正面から眺めたところです。枯山水の庭があります。
 
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天守閣を南側から見上げたところです。
大河ドラマの展示館もありましたが、ドラマを見ていないので、今回は入りませんでした。
 
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天守閣の南側には斎藤道三の娘、織田信長正室濃姫銅像もあります。
 
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門をくぐって、再び天守閣正面に戻ります。

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 清州城は、室町時代の文明八(1476)年に、尾張国(愛知県西部)の守護職斯波氏
居城となり、尾張の中心地として栄えました。
その後、戦国時代に入り、斯波氏家臣の守護代である織田氏が、実権を握りました。
その織田氏も、上四郡を支配した岩倉織田氏と、下四郡を支配した清州織田氏に分かれ、
その清州織田氏の奉行の一人であったのが、津島を支配していた織田信長の家系でした。
織田信長は、弘治元(1555)年に清州織田信友を滅ぼして、清州城を居城すると、
斯波氏も追放して、尾張統一を成し遂げました。
永禄三(1560)年に、信長は二万五千人の兵を引きいて攻めてきた駿河静岡県)の
今川義元に対し、ここ清洲城で「敦盛」を舞った後、桶狭間の戦いに出陣し、四千の兵で
破りました。
その後信長は、美濃攻めを目指すため、永禄6(1563)年に小牧山城に居城を移した後は、
信長の子信忠、信雄が城主となり、城は改修を加えられ、清洲城は最盛期となり、
関東の巨鎮と呼ばれる巨大な城となりました。そのころには、天守があったようです。
 
今回はここまでで、次回はようやく天守閣内に入ります。
 
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清州城天守
[住所] 清須市朝日城屋敷1番地1
[開城時間] 9:00~16:30(入城16:15まで)
平成23年11月30日(水)までは、17:00まで(入城16:30まで)
[休城日] 月曜日、12月29日~12月31日まで
ただし、桜の花見期間・清洲城ふるさとまつり期間は開城
平成23年11月30日(水)までは、「無休」で開城
[馬場] あり(無料)