清洲公園~桶狭間を見据える織田信長像~(清須市)
清洲公園~桶狭間を見据える織田信長像~(清須市)
7月も終わりですが、先週は梅雨に戻ったような、すっきりしない天気が続いて、
新潟、福島県では、記録的な豪雨で、かなりの被害が出ているそうです。
福島県は、震災の被災地に今回の豪雨で、これ以上被害が拡大しないことを祈ります。
前回の続きです。
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101042011.jpg)
(天守閣と呼ぶことにしているそうです)が見えます。
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101042020.jpg)
墨俣一夜城のように、明確なモデルはないのではないかと思いますが、あえて言うと
犬山城に似ています。
イメージですが、しかし、なかなか形のいい城にできていて、五条川にかかる赤い橋も、
いかにも、という感じもありますが、いい雰囲気を出しています。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101041940.jpg)
清州公園があります。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101042000.jpg)
この公園の木々の中に、織田信長像が立っています。
昭和十一年に竹田鋹太郎氏の寄贈により、桶狭間の戦いを前にした、
二十六歳の織田信長像(作者杉浦藤太郎)です。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101041950.jpg)
桶狭間の方角を見据えているそうです。
緊迫感が伝わってくるようです。
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101042030.jpg)
ことを決め、天下普請により名古屋城を建築し、清州城下町の家々を名古屋に移して、
清州城は廃城になりました(清州越し)。
その後、旧城下町は、清州新田として開発されましたが、天守台祉約二百三十三坪
買収し、大正十一年に清洲公園として開園したそうです。
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清洲公園
[駐車場] あり