清洲城天守閣内部~天守閣からの眺め~(清須市)

清洲城天守閣内部~天守閣からの眺め~(清須市

なかなか忙しくて、進んでいきませんが、やっと清洲城天守閣内部に入りました。
 
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1Fには、織田信長の騎馬像がありました。
うつけものと呼ばれていたころを彷彿させるものです。
 
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清洲城跡から出土した金箔の瓦なども展示されています。
 
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2、3Fには、清洲城に関係した武将に関する展示があります。
これから戦国史を勉強しようとする方には、わかりやすい説明だと思います。
織田信長のころの清洲城は、このように中世の館の形式で、天守のような高層の
建築物は無かったようです。
 
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石垣を登ってくる兵に対し、場内から石などを落として撃退する石落としが人形で再現
してありましたが・・・
 
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下には、屋根が見えました。
 
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豊臣秀吉徳川家康の兜の複製です。
 
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織田家の後、豊臣秀次福島正則が城主となり、関ヶ原の戦い後は、徳川家康の四男
松平忠吉、その死後、九男徳川義直が入城しましたが、慶長十四(1609)年徳川家康
よって、名古屋に城下町を含めて移転(清州越し)することになり、清州城も名古屋城
資材として利用され、慶長十八(1613)年に名古屋城の完成と城下町の移転が完了した
ことにより廃城となりました。
その清洲越しで移転した中に、後に松坂屋竹中工務店もあったそうです。
松坂屋は聞いたことがありましたが、竹中工務店は知りませんでした。
 
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清洲城は、平成元年に竣工されましたが、その写真をよく見たら、竹中工務店によって
建設されたようです。時代を越えて、つながっているのは、すごいことですね。
 
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4Fは展望台です。
南の名古屋駅方面を望みます。
桶狭間もこの方角です。
 
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北の清洲城の本丸跡があった清州古城跡公園を望みます。
 
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間近を新幹線が通って行きました。
 
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岐阜市金華山方面を望みます。
織田信長も美濃攻略を進めていたころは、このように眺めていたのですね。
 
織田信長のころには存在しなかった天守ではありますが、信長もこのように眺めていたのだろうと
当時に思いを馳せることができるものでした。
 
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