清洲城天守閣内部~天守閣からの眺め~(清須市)
清洲城天守閣内部~天守閣からの眺め~(清須市)
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101043650.jpg)
1Fには、織田信長の騎馬像がありました。
うつけものと呼ばれていたころを彷彿させるものです。
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清洲城跡から出土した金箔の瓦なども展示されています。
![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101043840.jpg)
2、3Fには、清洲城に関係した武将に関する展示があります。
これから戦国史を勉強しようとする方には、わかりやすい説明だと思います。
建築物は無かったようです。
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石垣を登ってくる兵に対し、場内から石などを落として撃退する石落としが人形で再現
してありましたが・・・
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下には、屋根が見えました。
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![イメージ 11](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101043700.jpg)
よって、名古屋に城下町を含めて移転(清州越し)することになり、清州城も名古屋城の
資材として利用され、慶長十八(1613)年に名古屋城の完成と城下町の移転が完了した
![イメージ 12](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101043710.jpg)
建設されたようです。時代を越えて、つながっているのは、すごいことですね。
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101043800.jpg)
4Fは展望台です。
南の名古屋駅方面を望みます。
桶狭間もこの方角です。
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北の清洲城の本丸跡があった清州古城跡公園を望みます。
![イメージ 14](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101043730.jpg)
間近を新幹線が通って行きました。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101043750.jpg)
織田信長も美濃攻略を進めていたころは、このように眺めていたのですね。
当時に思いを馳せることができるものでした。
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