吉田城 其の二(豊橋市) (三河国旅行編その9)

これまでは、梅雨でも、それほど蒸し暑く感じませんでしたが、一昨日あたりから、
むしむしした暑さになってきました。
今、雷も鳴っていたので、そろそろ梅雨も終わりでしょうか?
今日(24日)は、39.8度にまでなったところもあるそうです。
今年は、電力不足なので、とても心配です。

吉田城 其の二(豊橋市) ~背後を豊川によって守られた後ろ堅固の城~ (三河国旅行編その9)

いよいよ長かった旅行記も、終わりになりました。
前回の吉田城の続きで、本丸内に入ってきました。
 
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本丸井戸跡です。
 
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いよいよ吉田城メインの本丸鉄(くろがね)櫓です。
1954(昭和29)年に模擬再建されたものです。三層の望楼型になっています。
吉田城に天守は無く、隅櫓の一つである鉄櫓が天守の代わりをしていたと考えられています。
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腰曲輪跡です。
 
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北御多門跡です。
ここから、90度折れ曲がった虎口になっていて、北側の豊川べりに降りて行きます。
 
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北の豊川側から見上げると、かなり高い石垣です。
石落としのようになっています。
 
 
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ちょっと、全体のバランスがいまいちな気がします。
  
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この鉄櫓も西尾城と同様に解放されるようですが、日曜祝日の10時から3時までのみの
ようで、当日は、残念ながら、入ることができませんでした。
 
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鉄櫓西側の空堀です。
かなり深くなっています。奥には、豊川の流れも見えます。
 
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本丸跡は、芝生広場になっていて、犬の散歩などをしている人がいました。
 
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南御多門跡です。
 
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石垣に登って、上から南御多門跡を眺めたところです。
立派な石垣が残っています。
  
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吉田城の石垣の一部は、諸大名が江戸時代初期に名古屋城を天下普請で築城した際の
残りの石を使用したもので、その際の刻印も残されているそうです。
 
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明治初年に撮影された豊川対岸からの吉田城の写真だそうです。
 
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三の丸口門跡です。
整形されてはおりませんが、大きな石が使われています。
 
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豊橋公園の入り口には、このようなものがありました。
帝国陸軍が置かれていた際の門番のようなものでしょうか?
 
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立派な花の時計もありました。
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吉田城は、永正二(1505)年、牧野古白によりこの地に今橋城が築かれた事により始まり、
戦国時代には、今川、松平(徳川)、武田の戦国大名による攻防戦も行われました。
徳川家康は、永禄八(1565)年に吉田城を攻略し、酒井忠次を置きました。
天正十八(1590)年に家康の関東移封に伴い、池田輝政が152千石で入場し、城の拡張と
城下町の整備を行いました(関ヶ原の戦い後、輝政は姫路城に国替えになりました)。
江戸時代には、東海道の要衝として、松平、水野、小笠原、久世、牧野などの9家22代の
譜代大名が城主となりましたが、いずれも小大名であったため、城の整備は未完成に
終わりました。
 
初めての3人での旅行でしたが、なんとか無事に帰ってくることができました。
 
 
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