高天神城(掛川市) 其の二~遠江国旅行編~

高天神城掛川市) 其の二~遠江国旅行編~

前回の続きです。
三の丸から御前曲輪に上がっていきます。

すると・・・
 
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なぜか、観光地にある顔出しがあります。
小笠原長忠とその妻というかなりマニアックな設定ですが、このような城跡にあるのは、
かなり違和感がありますね。。。
 
その後ろにあるものは、コンクリート製で、何かわかりませんでしたが、
帰ってから調べてみると、戦前に模擬天守が建てられていたようです。
(実際には、天守はありませんでした。模擬天守は落雷で焼失したようです。)
 
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本丸です。
 
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土塁です。
一般にお城には石垣のイメージがあると思いますが、石垣が多く使われるようになったのは
安土城以降で、それ以前のお城は、このような土を積み上げた土塁ですね。
 
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土塁の上から下を眺めます。
 
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この高天神城は、「高天神を制する者は、遠江を制す」と言われた程、重要な拠点で、
戦国時代には、熾烈な争奪戦が起こったお城です。
元亀二(1571)年に、織田信長の唯一の同盟者であった徳川家康三方原の戦いで
破った
武田信玄も、小笠原長忠の守る高天神城には手を焼き、城攻めをあきらめました。
 
信玄の死後、息子の勝頼は、天正二(1574)年に高天神城を攻め、織田信長援軍を
送らなかったこともあり、ついに落城し、勝頼は、信玄も落とせなかった城を落したということで、
武名を挙げました。
しかしそこで、調子に乗ったのか、翌年の長篠の戦いで大敗を喫し、武田氏は滅亡への道を
歩むことになります。

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その後、徳川家康は、武田方の岡部元信の守る高天神城を攻めますが、なかなか落とすことが
できません徳川家康は、地道な城攻めは苦手でしたので)でしたが、周辺にたくさんの城や砦を
築くことなどで、ようやく落とすことができました。
その付け城の一つが、横須賀城で、後日登場予定です。
 
と、下りてきたところで、二の丸のほうに行くのを、忘れたのに気づきました。。。
もう一度、登るのも大変で、次の予定もあるので、あきらめました。
 
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