掛川城 其の三(天守内部の巻)(掛川市)~遠江国旅行編~

掛川城 其の三(天守内部の巻)(掛川市)~遠江国旅行編~

其の一(大手門周辺の巻)、其の二(天守までの巻)に続いて、其の三(天守内部の巻)です。
やっと天守内部にまで、入ってこれました。
 
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天守一階にある石落としです。
石垣を登ってくる敵兵に対し、上から石を落して、守るためのものです。
 
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山内一豊騎馬像です。千代のへそくりで買った馬でしょうか?勇ましいです。
 
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急な階段を登って、二階です。
新しいですが、木造のため、鉄筋コンクリート製のお城より雰囲気があります。
城内は、展示室になっていることが多いですが、掛川城は、展示物が意外と少ないです。
 
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狭間です。
城内から、鉄砲や矢を放つために開けられた小さな窓です。
 
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青銅製の鯱鉾です。
 
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三階は、武者隠し、四階を守る最後の防衛線です。
天井も低く、屋根裏部屋のような雰囲気です。
外から見ると、三層ですが、内部は四層で、これも敵の目を欺く仕掛けです。
 
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四階は、展望室になっています。
下に見えるのは、其の二で登場の太鼓櫓です。
 
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こちらは次回登場予定の二の丸御殿です。
 
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向こうに見える緑が、お茶で有名な牧の原台地です。
 
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下に降りて、石落としを外から見たところです。
ちょっと、ばればれのようにも見えますが

その上にある剣山のようなものも、外からよじ登ってこれないようにする仕掛けです。
 
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二の丸御殿に向かう左手にあるのは十露盤(そろばん)堀です。
 
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その位置からの天守です。お城は、正面ではなく、斜めから見るのが、美しいと思います。
 
掛川城は、明応六(1497)から文亀元(1501)年、駿河の大名今川義忠が遠江支配の拠点
として重臣の朝比奈泰煕に築かせました。
その後、桶狭間の戦い織田信長に敗れた今川義元の子氏真は、武田信玄徳川家康
挟撃を受けて、本拠地の駿府館を捨てて、朝比奈泰朝のいる掛川城に逃げてきて、
掛川城は徳川勢の包囲に遭いましたが、泰朝は城を守ってなかなか落城しませんでした。
掛川城開城後、掛川城は徳川家のものとなり、甲斐の武田家の侵攻を防ぎました。
小田原北条攻めの後、掛川城には豊臣秀吉の直臣であった山内一豊5万石で入り、
掛川城を近世城郭としての大幅な拡張を実施し天守を建造しました。

次回は、ようやく掛川城の最終回の予定ですが、二の丸御殿に入ります。
 
 
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