美濃国府跡(垂井町)に行きました。

美濃国府跡(垂井町)に行きました。

大垣市からは、国道21号線を西に進み、垂井町の御所野の交差点を北に右折し、
JR東海道本線越え、中山道との交差点の大鳥居をくぐって、相川にかかる御幸橋
渡って、さらに北上したところにある美濃国府跡垂井町)に行きました。
 
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道路の左手(西側)に南宮御旅神社(なんぐうおたびじんじゃ)があります。
南宮御旅神社は、かつての美濃国総社で、毎年5月5日の南宮大社例大祭の際には、
神輿が相川を禊ぎ川渡りしてこの神社にまで到るため、御旅神社という名になったそうです。

 
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参道の奥の方に、本殿が見えますが、そのあたりが美濃国府の中心だったようです。
 
この辺りの府中という地名は、全国各地にもあると思いますが、国府があったことを
示しています。
国府とは、奈良、平安の律令国家の時代に、都から地方の統治のために国司が派遣
された役所のことです。役割が少し違いますが、今で言うと、県庁のようなものですね。
古代には、関ケ原不破の関が置かれ、幹線道路である東山道が近くを通っていた
交通の要所であり、そのころの政治、経済、文化の中心であったため、垂井の地に
国府が置かれたようです。
 
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南宮御旅神社の境内の南側に、発掘された跡がありましたが、
ロープが張ってあり、その中に入ることはできませんでした。
 
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このあたりは、正殿南側に東西に並んでいる細長い建物の東脇殿の跡だったようです。
 
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(写真をひっくり返して、北を上にしてあります。)
正殿とその南側の東西の脇殿の範囲が政庁で、その南には、広い朱雀路が作られて
いました。小さいけれど、都のイメージでしょうか?
そして政庁の東側には、実務を行う役所があった東方官衙地区があったそうです。
 
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復元図です。お寺のようなイメージです。
 
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タルイピアセンターでもらったパンフレットです。
 
今は、静かな田園地帯の中の集落にあって、その面影はありませんが、
かつては美濃国中心地であった美濃国府跡を訪ねました。

美濃国府跡(南宮御旅神社)
[住所] 岐阜県不破郡垂井町府中2506
 
 
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