美濃国府跡(垂井町)に行きました。
美濃国府跡(垂井町)に行きました。
神輿が相川を禊ぎ川渡りしてこの神社にまで到るため、御旅神社という名になったそうです。
参道の奥の方に、本殿が見えますが、そのあたりが美濃国府の中心だったようです。
この辺りの府中という地名は、全国各地にもあると思いますが、国府があったことを
示しています。
された役所のことです。役割が少し違いますが、今で言うと、県庁のようなものですね。
古代には、関ケ原に不破の関が置かれ、幹線道路である東山道が近くを通っていた
交通の要所であり、そのころの政治、経済、文化の中心であったため、垂井の地に
古代には、関ケ原に不破の関が置かれ、幹線道路である東山道が近くを通っていた
交通の要所であり、そのころの政治、経済、文化の中心であったため、垂井の地に
国府が置かれたようです。
南宮御旅神社の境内の南側に、発掘された跡がありましたが、
ロープが張ってあり、その中に入ることはできませんでした。
ロープが張ってあり、その中に入ることはできませんでした。
このあたりは、正殿南側に東西に並んでいる細長い建物の東脇殿の跡だったようです。
(写真をひっくり返して、北を上にしてあります。)
正殿とその南側の東西の脇殿の範囲が政庁で、その南には、広い朱雀路が作られて
いました。小さいけれど、都のイメージでしょうか?
そして政庁の東側には、実務を行う役所があった東方官衙地区があったそうです。
復元図です。お寺のようなイメージです。
タルイピアセンターでもらったパンフレットです。
今は、静かな田園地帯の中の集落にあって、その面影はありませんが、
美濃国府跡(南宮御旅神社)
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