小簾紅園(瑞穂市)の紅葉を見ました。その2
小簾紅園(瑞穂市)の紅葉を見ました。その2
前回から日にちが空いてしまいましたが、小簾紅園(瑞穂市)の紅葉についてです。
結んで開国し、それに反対する攘夷派を安政の大獄で粛清しました。
幕府の関係を修復し、協力して攘夷にあたる公武合体政策として、10年以内に攘夷を
家茂(いえもち)に嫁ぐことになりました。
のは嫌がったそうですが、「君と民のため」降嫁を決意したそうです。
馬淵孫右衛門の庭の美しい紅葉を見て、歌を詠んだそうです。
呂久の渡しも廃止されましたが、昭和5(1929)年に、この呂久の渡し跡地に、和宮の
歌碑を中心とした小簾紅園が整備されました。
庭園の中の一番小高いところにあるのが和宮の歌碑
「落ちて行く 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ」です。
政略結婚により、住みなれた京都を離れ、婚約者とも別れなければならなかった
和宮の気持ちが偲ばれます。
中山道の道に面したこの紅葉がもっとも赤く色づいていました。
小簾紅園は、小さな公園ですが、幕末の歴史を偲び、紅葉を楽しむことができました。
小簾紅園(おずこうえん)
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