縁結びの神の安八町の結神社に行きました。
縁結びの神の安八町の結神社に行きました。
降りたところの横屋の交差点を右折し、南に進んだところにある、
縁結びの神として有名な安八町の結神社(むすぶじんじゃ)に行きました。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101052820.jpg)
一の鳥居です。
現在は、縁結びの神として知られていますが、古くから万物の生産、生成の神として
崇敬されていました。
生産、縁結び、和合円満、そして安産にも御利益があるようです。
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結神社は、第八十代高倉天皇の嘉応(かおう)年間(1169~1171年)に創建され、
きました。建治三(1277)年に、十六夜日記の作者阿佛尼が京から鎌倉へ下る
途中に結神社を訪れ、次のような和歌を詠み祈願したそうです。
守れただ 契りむすぶの神ならば とけぬ恨に われ迷はさで
守れただ 契りむすぶの神ならば とけぬ恨に われ迷はさで
明治初期ごろに「結神社」に改められ、揖斐川の改修により、旧境内が河川敷と
なったため、現在地に遷されました。
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101052840.jpg)
二の鳥居です。
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二の鳥居の前に、さざれ石がありました。
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天之御中主神(あめのみなかぬしのみこと)、は、天の中央にあって、天地を主宰する
二神は、万物の生産・生成を掌る神とされているそうです。
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戦勝祈願をしたと伝えられているそうです。
戦国最強と言われた武田家との戦いの前に、7日間もの戦勝祈願をしたということで、
家臣も含めて、その御利益が信じられていたということですね。
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結神社の近くに、かつて斎藤家の家臣の館の結城があったそうです。
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厳かな雰囲気です。
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本殿です。
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丈夫な赤ちゃんが生まれるようにお参りしてきました。
神主さんは、常駐しておらず、お守りなどは、平日のみ隣の大平工業で
扱っているそうです。
結神社
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