縁結びの神の安八町の結神社に行きました。

縁結びの神の安八町の結神社に行きました。

大垣市中心部から国道21号線を東に走り、新揖斐川橋を渡って、
降りたところの横屋の交差点を右折し、南に進んだところにある、
縁結びの神として有名な安八町結神社(むすぶじんじゃ)に行きました。
 
イメージ 2
 
の鳥居です。
現在は、縁結びの神として知られていますが、古くから万物の生産、生成の神として
崇敬されていました。
生産、縁結び、和合円満、そして安産にも御利益があるようです。
 
イメージ 5
 
結神社は、第八十代高倉天皇の嘉応(かおう)年間(1169~1171年)に創建され、
江戸時代までは「結大明神」と称して、美濃国の歌枕として多くの歌人に詠われて
きました。建治三(1277)年に、十六夜日記の作者阿佛尼が京から鎌倉へ下る
途中に結神社を訪れ、次のような和歌を詠み祈願したそうです。

 守れただ 契りむすぶの神ならば とけぬ恨に われ迷はさで
 
明治初期ごろに「結神社」に改められ、揖斐川の改修により、旧境内が河川敷と
なったため、現在地に遷されました。
 
イメージ 4
 
二の鳥居です。
 
イメージ 6
 
二の鳥居の前に、さざれ石がありました。
 
イメージ 7
 
天之御中主神(あめのみなかぬしのみこと)、は、天の中央にあって、天地を主宰する
神とされ、高御産巣日神(たかみむすびのみこと)、神産巣日神(かみむずびのみこと)の
二神は、万物の生産・生成を掌る神とされているそうです。
 
イメージ 8
 
織田信長が、長篠の戦い、越前の一向宗との戦いの前に、結大明神に7日間の
戦勝祈願をしたと伝えられているそうです。
戦国最強と言われた武田家との戦いの前に、7日間もの戦勝祈願をしたということで、
家臣も含めて、その御利益が信じられていたということですね。
 
イメージ 9
 
結神社の近くに、かつて斎藤家の家臣の館の結城があったそうです。
 
イメージ 10
 
厳かな雰囲気です。
 
イメージ 11
 
本殿です。
 
イメージ 3
 
丈夫な赤ちゃんが生まれるようにお参りしてきました。
 
神主さんは、常駐しておらず、お守りなどは、平日のみ隣の大平工業で
扱っているそうです。
 
結神社
[住所] 岐阜県安八郡安八町西結584
 
 
ランキングに参加しています。
イメージ 1