長島城跡&願証寺跡に行きました。

長島城跡&願証寺跡(桑名市長島町)に行きました。

織田信長と激しい戦いを繰り返した長島一向一揆の拠点であった長島城跡
願証寺を訪れました。
 
岐阜県大垣市方面からは、揖斐川長良川を分ける千本松原の堤防道路である
県道106号線から、中堤入口の交差点を左折して国道1号線に入り、長良川を渡って、
旧長島町に入ってから左折して、住宅地に入って行ったところに長島城跡三重県
桑名市)はあります。
 
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長島城跡は現在では、長島中部小の敷地となっており、建物や遺構などは
全く残っておりません。小学校に案内板が立っていました。
長島城は、寛元三(1245)年に藤原道家が築き、室町時代の文明年間
(1482)年に伊藤重晴が再建しました。
その後、長島一向一揆勢が城を奪い、この城を拠点として、織田信長と激しい
戦いを繰り返しました。
その後、江戸時代に増山氏が入城し、2万石の城下町となりました。
学校は、城をイメージした建物になっていました。 
 
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小学校の東側に、堀だったと思われる小さな川が流れています。
 
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輪中の郷歴史民俗資料館にあった長島城の模型です。
2万石の城ということで、天守閣などの大きなものはなく、陣屋程度だったようです。
城門が移築されて残っているそうです。
 
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長島城跡からは北方向に、岐阜県方面からは愛知県愛西市立田町の船頭平
河川公園の木曽川文庫の前の道から、長良川の左岸堤防を南に走ったところに、
願証寺三重県桑名市)はあります。
織田信長と激しく戦った長島一向一揆勢の中心となった願証寺は、明治の三川
分流工事により流れが変えられたこの長良川の底に沈んでしまっています。
 
(現在では、長島町内の別のお寺が、願証寺の名称を受け継いでいます)
 
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織田信長と激しい戦いを繰り返した長島一向一揆の拠点であった長島城跡と
願証寺跡ですが、現在ではその当時を偲ばせるものは何もありませんでした。 
 
長島城跡
[住所] 三重県桑名市長島町西外面
 
 
[住所] 三重県桑名市長島町杉江
 
 
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