山本山城跡を下から眺めました。

山本山城跡(長浜市湖北町)を下から眺めました。

国道8号線長浜市から木ノ本方面に北上していたら、速水北の交差点で
山本山城跡3km」の標識が見えたので、少し寄ってみました。
お城の名前が、海苔みたいですね
 
左折して県道258号線を西に進むと、田んぼの中にぽつんと山が見えてきました。
 
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この山だなと思って近づきました。
県道252号線との交差点を右折すると、左に「山本山城跡」の小さな看板があった
ので、細い道を左折して進むと、右側にまた看板がありそこを右折すると、朝日
小学校の隣の朝日山神社につきました。
 
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神社の脇に、この案内板がありました。
この標高324mの山本山の山頂に、山本山があったそうです。
北陸に向かう北国街道に近く、山の向こう側は琵琶湖で、湖上の交通も見張る
ことができる要所だったようです。
 
平安時代後期に、清和源氏源義定義経が築城したという、たいへん歴史の
あるお城でした。源(山本)義経は、源(木曽)義仲とともに平家と戦ったそうで、
共に上洛しましたが、その後、源頼朝との戦いに敗れたそうです。
 
その後、戦国時代には、小谷城の浅井氏の家臣阿閉淡路守が治めていましたが、
元亀3(1572)年に、木下藤吉郎秀吉の調略により、織田信長に降伏しました。
漫画の「センゴク」にも少し登場していたと思います。
 
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この階段を800mほど登ると、山本山城跡につくようですが、城攻めは断念して、
下から眺めるだけにしました
城を攻め落とされた方のホームページを見ると、けっこう登るのはきついようです
 
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源(山本)義経が、鎧をかけて、戦勝を祈ったという「鎧掛松」だそうです。
その割に小さいので、その当時のものではないと思いますが。
 
源(山本)義経は、源(木曽)義仲と共に平家と戦ったため、その縁から
木曽義仲は、上洛後に朝日将軍と名乗ったと書かれていました。
本当でしょうか?
 
平の戦いのころから存在していた予想以上に歴史のあるお城でした。
 
山本山城跡
[住所] 長浜市湖北町山本
[料金] 無料
[駐車場] 神社前にあり
 
 
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