墨俣一夜城に行きました。
墨俣一夜城(大垣市墨俣町)に行きました。
大垣市と飛び地となった町です。
大垣市中心部からは、県道31号線(岐阜垂井線)を東に向かい、
犀川の河川敷公園に車を停めました。
河川敷公園にも、アジサイが植えられています。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101040400.jpg)
築かせた砦で、このような立派な天守閣
はありませんでした。
![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101155421.gif)
ものですので、その時代にはまだありませんでした)
ウィッシュの竹下登首相の「ふるさと創生」の
1億円をもとに、
![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101160030.gif)
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101040450.jpg)
大垣城と外観がそっくりです![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101155640.gif)
![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101155640.gif)
(大垣城はきれいな整った外観をしているので、好きなお城ですが、
四層が死に繋がるため、天守閣の中でも珍しいものなのですが)。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101040500.jpg)
豊臣秀吉の出世のきっかけとなった城のため、城の入口にかかる
「太閤出世橋」という名前の橋の欄干には、馬印のひょうたんが
乗っかっています。
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101040510.jpg)
城の入口には、銅像があります。
木下藤吉郎のころには、このような格好は、していなかったのでは?
とは思いますが。
![イメージ 13](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101040440.jpg)
徹底して秀吉のイメージですね。
![イメージ 12](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101040430.jpg)
城の中は、資料館になっており、輪中地帯で水害に苦しみながらも
美濃路の宿場町として発展した墨俣の歴史や、
「武功夜話」をもとに、一夜城が建てられたときの様子や、
豊臣秀吉の足跡などが紹介されています。
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101040520.jpg)
墨俣一夜城の模型です。
川を外堀に、簡単な建物を堀や柵で囲った簡単な城です。
その建設用の木材は、川の上流で切りだして、加工してから、
川を流して、墨俣まで運び、そこで組み立てたということで、
現代のプレハブ工法にも通じます。
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101040531.jpg)
5階の展望室からの眺め(東側)です。
当時とは、川の流れは変わっていますが、当然向こうからも見えるので、
こんなにも近くに出城を築くのは、大変だっただろうと思います。
![イメージ 7](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101040540.jpg)
西側の大垣市方面です。
ソフトピアジャパンのビルが見えます。
![イメージ 9](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101040600.jpg)
南側の墨俣の町です。
城から少し下っていくと、美濃路の墨俣宿があったあたりに出ます。
![イメージ 10](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101040410.jpg)
鈴鹿越えや、桑名から熱田の宮の渡しを避けることができ、
朝鮮通信使なども通った江戸時代の主要道路でした。
墨俣宿も、長良川を越えるため、大きな宿場町として栄えていたようです。
![イメージ 11](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101040420.jpg)
一夜城の面影はあまり偲べませんが、一夜城のあった場所から
当時に思いを馳せるとともに、大垣市と合併した墨俣の歴史を学びました。
墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)
休館日:月曜日、祝日の翌日、12月29日~1月3日
時間:9:00~17:00
入場料:一般200円
駐車場:犀川河川敷公園にあり
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