長久手市郷土資料室(愛知県長久手市)

長久手市郷土資料室(愛知県長久手市

今日23日(日)で訪問者数が25万人を超えました。いつもありがとうございます。
 
さて今回は、長久手古戦場公園の一角にある長久手市郷土資料室に入りました。
 
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1階が、入場無料の資料館になっています。
その一角には、喫茶店もありました。
 
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中央には、ジオラマで軍勢の動きが示されていました。
 
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小牧長久手の戦いは、犬山城豊臣秀吉小牧山城には徳川家康織田信雄が陣取り、
にらみ合っている中、徳川家康の本拠地である三河地方を攻めようと豊臣方の池田恒興
森長可、三好秀次の軍勢が 進んでいったところ、それを知った徳川家康が後ろから追いかけて
攻めかけ、後方を進んでいた三好秀次を敗走させ、それを聞いて戻ってきた池田恒興森長可
討ち取ったというものでした。
この作戦は、池田恒興の献策によるものというのが通説でした。
 
イメージ 7壁には、屏風図がありました。
 
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池田恒興画像(模写)です。
この絵はたまに見かけますが、なんかこじんまりとして迫力がないなと前から思っていました。
恒興の母が織田信長の乳母のため、信長とは乳兄弟の関係です。
池田恒興は、小牧長久手の戦いの当時、大垣城主でしたが、この長久手の地で
戦死してしまいました。
 
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こちらは、岐阜城主だった長男の元助画像(模写)です。
池田家は、その後、次男の輝政が継ぎ、関ヶ原の戦いでは徳川方の東軍に属し、
戦後は姫路城を今日の姿に大改修し、その後、岡山、鳥取にそれぞれに入封され、
幕末まで続きました。
 
この池田氏は、織田家尾張時代からの家臣ということで、てっきり尾張の出自かと思って
いましたが、そうではなく、もともとは大垣市のお隣りの池田町の出のようです。
この絵の原本は、龍徳寺所蔵となっていましたが、このお寺は池田町にあり、恒興元助の
墓もそちらにあるようです。
これは今回ブログを書く際に調べて初めて知り、西濃地方とも縁が深かったことがわかりました。
 
参加しています
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長久手市郷土資料室
[住所]  愛知県長久手市武蔵塚204番地
[電話番号] 0561-62-6230
[定休日]  月曜日休室(月曜日が祝日の場合は翌平日)
[開館時間]  9:00~17:00(入室は16:30まで)
[入場料]  無料
[駐車場]  あり(49台)