長久手市郷土資料室(愛知県長久手市)
長久手市郷土資料室(愛知県長久手市)
今日23日(日)で訪問者数が25万人を超えました。いつもありがとうございます。
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1階が、入場無料の資料館になっています。
その一角には、喫茶店もありました。
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中央には、ジオラマで軍勢の動きが示されていました。
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討ち取ったというものでした。
この作戦は、池田恒興の献策によるものというのが通説でした。
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![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101110100.jpg)
池田恒興画像(模写)です。
この絵はたまに見かけますが、なんかこじんまりとして迫力がないなと前から思っていました。
恒興の母が織田信長の乳母のため、信長とは乳兄弟の関係です。
戦死してしまいました。
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こちらは、岐阜城主だった長男の元助画像(模写)です。
池田家は、その後、次男の輝政が継ぎ、関ヶ原の戦いでは徳川方の東軍に属し、
戦後は姫路城を今日の姿に大改修し、その後、岡山、鳥取にそれぞれに入封され、
幕末まで続きました。
いましたが、そうではなく、もともとは大垣市のお隣りの池田町の出のようです。
この絵の原本は、龍徳寺所蔵となっていましたが、このお寺は池田町にあり、恒興元助の
墓もそちらにあるようです。
これは今回ブログを書く際に調べて初めて知り、西濃地方とも縁が深かったことがわかりました。
参加しています
長久手市郷土資料室