伊勢亀山城 其之一 ~改修された多門櫓内部~(三重県亀山市)

伊勢亀山城 其之一 ~改修された多門櫓内部~(三重県亀山市

能褒野神社から亀山市中心部にある亀山城に向かいました。
亀山市は、カメヤマローソクや、最近では巨額の補助金で誘致したシャープの
液晶テレビの「亀山モデル」でも有名になりました(今ではその立派な工場も、たいへんな
状況になっていますが)が、小さな地方都市でした。
 
三重県の城跡としては、桑名城、神戸城、津城、松坂城伊賀上野城などが残っていますが、
何れも現存しているのは、石垣や堀などのみで、亀山城多門櫓が建物としては三重県内に
残る唯一の城郭建築物となっています。
 
亀山城多門櫓は、今回亀山城に向かうことになって調べてみたら、ちょうど改修工事が
完了して、4月から公開が始まったところということで、グッドタイミングでした。
 
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亀山城多門櫓は高い石垣の上に乗った板張りの写真のイメージがありましたので、
駐車場に向かう車の中から、これが見えた時は「あれっ」と思いました。
 
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土日祝日の10:00~16:00の間しか開いていません。
「ただ今、防犯のため カメラ監視中」と大きく書かれていましたが、この時は、なぜかな?
と思いながら、階段を登りました。 
 
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床は張り直されており、真新しいものでしたが、柱や梁は古い材で、建築当時の様子が
偲ばれます。
 
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こちらの柱は入れ替えられているそうです。
それは・・・
 
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 改修中の昨年2012年12月14日に放火があり、一部焼けてしまったためだそうです。
そのため、入口の看板のようにも書かれていたんですね。
三重県に残る唯一の城郭建築物で、貴重なものなのに、ひどいことをする人がいます(怒)。
 
明治に入ってから、廃城令により、大部分の建物は取り壊されましたが、この多門櫓だけは、
士族の授産場として使用されたため、取り壊しを免れました。
 
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漆喰塗りの壁の模型です。中は竹なんですね。 
 
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東に大手門があり、西に向かって三之丸、二之丸、本丸と並ぶ蓮郭式の縄張りで、
南西に西之丸があります。
 
伊勢亀山城は、文永二(1265)年に関実忠により築城された亀山古城を母体として、
天正十八(1590)年に岡本宗憲によって築城されました。
多門櫓は、本丸の南東角の天守台と呼ばれる位置にあります。
一国一城令により、丹波亀山城京都府亀山市)の天守を解体するように命じられた
堀尾忠晴が、伊勢亀山と聞き間違えて天守を解体してしまったという信じられないような話が
残されていますが、本当に天守があったのかどうかはわからないとされています。
(小学校の頃、本で読んで、そんなバカなと思った記憶があります。) 
その後、多門櫓は寛永十(1633)年に作成されたとされる絵図には描かれていることから、
このころまでには築造されたとみられています。
 
東海道の要衝であったため、本多、石川、板倉、松平などの譜代大名が五万石で次々に
入れ替わり入封しましたが、延享元(1744)年、石川総慶が六万石で入封し、明治維新
迎えました。
 
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亀山城は、今の公園や亀山神社の辺りが本丸、市役所や西小学校が二の丸、中学校が西の丸
なっていました(城の中にある学校というのは、昔からちょっと憧れます)。
 
総構えの中を東海道が通っており、四十六番目の宿場町でもあります。
西側を流れる竜川を渡ったところに京口門があり、屈折を繰り返しながら、城の南側を通って
東側の江戸口門に続きます。
西の大坂方面から攻め下りてくることを想定して、道が何度も屈曲していますが、
逆に東側は大手門であるにもかかわらず、ストレートにつながっています。
 
改修されていますが、江戸時代の城の雰囲気を感じることができました。
 
次回に続きます。
 
参加しています
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亀山城多門櫓
[住所] 三重県亀山市本丸町572番地
[開城日] 土日、祝日(年末年始除く)
[開城時間]  10::0~16:00
[入城] 無料
[馬場(駐車場)] あり