能褒野神社(三重県亀山市)

能褒野神社(三重県亀山市

GW中に、会社の元同期2人と、ドライブに行きました。
ぼっちゃん以外の二人は入社数年で辞めてしまいましたが、年に一度程度、最近は
ゴールデンウィークに、ドライブか、飲みに行くのが恒例になっています。
今回は、ドライブにしようということで、三重県亀山市・関方面に向かうことにしました。
鈴鹿市までは足しげく通っているぼっちゃんですが、そこから向こうはあまり行ったことが
ありません。
 
まず最初に寺社仏閣巡りがご趣味の友人の希望で、亀山市能褒野神社に行きました。
岐阜県からは、鈴鹿市を越え、亀山市に入り、国道306号線の八島橋東詰から
県道637号線を東に進み、名越の交差点を南に曲がったところにあります。
 
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近年、のぼのの森公園としてきれいに整備されたようです。
 三角形の形をした公園の中央に能褒野神社があり、一番南側に日本武尊御墓があります。
 
イメージ 5背の高い木々が生い茂る静かな参道を通ります。厳かな雰囲気です。
 
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神社がありました。こちらが日本武尊を祀る能褒野神社のようです。
 
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日本武尊御墓参道とあります。
 
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南側の通路から御墓に登る階段がありました。
三連の階段になっており、友人は三重県の名の由来となった「足が三重に折れそうだ」
からきているのではないかと言っていましたが、定かではありません。
 
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能褒野王塚古墳です。
陵墓のため、宮内庁の管轄下にあり、門と柵で閉じられており、中に入ることはできません。
 
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日本武尊(倭健命)が東征の帰路に伊勢国能褒野で薨じたとの「記紀」記述により、
明治十二(1879)年に内務省によって「景行天皇皇子日本武尊能褒野墓」に定められ、
墳丘の修復に併せて、畿内の王陵墓に倣い周庭帯が設けられた。
しかし近世においてはこの古墳が日本武尊の墓という認識はほとんどなかったと見られる。」
とのことです。

「能褒野王塚古墳は、全長90mの四世紀後半の築造と見られる北勢地方最大の前方後円墳です。
日本武尊の御墓は不明でしたが、明治十二(1879)年に内務省によって能褒野王塚古墳が
日本武尊の御墓として定められました。
日本武尊の御墓と定められてから、神社創建の機運が高まり、明治十八(1885)年に
能褒野神社は創社されました。」
 
背の高い木々が生い茂る静かで厳かな雰囲気の神社と古墳でした。
 
参加しています
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能褒野神社(のぼのの森公園)
[住所] 三重県亀山市田村町1409
[駐車場] あり