本願寺 その三(京都市)

本願寺 その三(京都市

西本願寺の最終回です。
書院は、特別公開以外、通常は非公開で、事前予約が必要なようですが、
見せていただくことができました。
(ただ、ご住職の案内はちょっと迷いながらで、詳しい説明もありませんでしたので、
後から写真などで調べています。
事前に書院に入れていただけることを知っていれば、もう少しよくわかったかもしれません。)
 
書院の中は、きれいな襖絵などがありましたが、撮影禁止となっていたので、
残念ながら写真はありません。
 
外は、撮ってもいいようでしたので。
 
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重要文化財である能舞台だと思います。
対面所前の南能舞台は、現存する最大の能舞台とのことです。
 
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国宝である北能舞だと思います。
白書院前の北能舞台天正九(1581)年の墨書紙片があり、日本最古の能舞台とされている
とのことです。
 
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これは確実に特別名勝に指定されている虎溪の庭です。
中国廬山(ろざん)のふもと虎渓を模して造られた江戸初期の枯山水庭園で、
御影堂の屋根を廬山に見せた借景の技法を取り入れているとのことです。
偶然にもちゃんと写真に屋根が写っています。
 
西本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山であり、正式名称は「本願寺」で、
東本願寺は、真宗大谷派の本山であり、 正式名称は現在では「真宗本廟」で、
本願寺とはつかないようです。
 
浄土真宗親鸞を宗祖とし、その墓所である大谷廟堂を発祥とする本願寺は、
第十一世顕如の時代に大きく宗勢を拡大しましたが、織田信長との激しい石山合戦の末、
和睦し、その後、豊臣秀吉により現在の本願寺の地である京都の七条堀川に寺地を
与えられました。
その没後、三男の准如本願寺西本願寺を継承しましたが、対立していた長男の
教如徳川家康から烏丸六条の土地を与えられ、本願寺東本願寺を立てて、
本願寺は東西に分裂する形になり、今に続いています。
 
 
このように西本願寺の参拝を済ませた後、食事に向かいましたが、
それはちょっと意外な場所でした。続く・・・
 
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