書院は、特別公開以外、通常は非公開で、事前予約が必要なようですが、
見せていただくことができました。
(ただ、ご住職の案内はちょっと迷いながらで、詳しい説明もありませんでしたので、
後から写真などで調べています。
事前に書院に入れていただけることを知っていれば、もう少しよくわかったかもしれません。)
書院の中は、きれいな襖絵などがありましたが、撮影禁止となっていたので、
残念ながら写真はありません。
外は、撮ってもいいようでしたので。
国宝である北能舞台だと思います。
白書院前の北能舞台は天正九(1581)年の墨書紙片があり、日本最古の能舞台とされている
とのことです。
これは確実に特別名勝に指定されている虎溪の庭です。
中国廬山(ろざん)のふもと虎渓を模して造られた江戸初期の枯山水庭園で、
御影堂の屋根を廬山に見せた借景の技法を取り入れているとのことです。
偶然にもちゃんと写真に屋根が写っています。
和睦し、その後、豊臣秀吉により現在の本願寺の地である京都の七条堀川に寺地を
与えられました。
その没後、三男の准如が本願寺(西本願寺)を継承しましたが、対立していた長男の
本願寺は東西に分裂する形になり、今に続いています。
このように西本願寺の参拝を済ませた後、食事に向かいましたが、
それはちょっと意外な場所でした。続く・・・
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