田辺城其之二~細川幽斎が築城した田辺城~(京都府舞鶴市)
田辺城其之二~細川幽斎が築城した田辺城~(京都府舞鶴市)
田辺城の続きです。今回は田辺城の歴史について少し触れます。
よろしければ、もう少しお城巡りにお付き合いください。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101044520.jpg)
戦前の昭和15年に建てられた彰古館です。
内部は木造で、当時を思わせる雰囲気があります。
この1階2階に、展示物があります。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101044540.jpg)
マッチ棒で作られた復元模型がありました。
左手奥の彰古館とは、石垣の上でつながっています。
こちらの見学も無料です。
こちらの見学も無料です。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101044550.jpg)
子の忠興とともに、この田辺城を築城しました。
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101044610.jpg)
その後、慶長五(1600)年関ヶ原の戦いが始まる前、東軍に着いた細川家に対して、
約五百人の兵しかおりませんでしたが、五十余日を守り通しました。
幽斎は、古今和歌集の秘事口伝の伝承者(古今伝授)であったたため、その廃絶を
幽斎は、古今和歌集の秘事口伝の伝承者(古今伝授)であったたため、その廃絶を
憂慮した御陽成天皇の勅命により、西軍の包囲は解かれることになりました。
以前本で読んだ際に、戦の最中でも、そんなことがあるのだなと思った逸話です。
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101044620.jpg)
田辺城には、京極氏、牧野氏が入城して、明治維新に至りました。
![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101044640.jpg)
当時の縄張りです。
![イメージ 9](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101044530.jpg)
重なるため、田辺城の別名が舞鶴城といったことから、明治に入って、藩、市の名前として
つけられたそうです。
つけられたそうです。
田辺城は、ふるさと創生事業で作られた大手門が立派で、
戦国時代の逸話も残るお城
でした。
![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bottchandesu/20010101/20010101155421.gif)
参加しています
舞鶴市田辺城資料館
[住所] 京都府舞鶴市字南田辺15-22
[電話番号] 0773-76-7211
[休館日] 毎週月曜日、祝日の翌日、12月29日~1月3日
[開館時間] 9:00~17:00
[入館料] 無料
[住所] 京都府舞鶴市字南田辺15-22
[電話番号] 0773-76-7211
[休館日] 毎週月曜日、祝日の翌日、12月29日~1月3日
[開館時間] 9:00~17:00
[入館料] 無料