西尾城(愛知県西尾市)~天守が二の丸にあった城~(三河国旅行編その2)
西尾城(愛知県西尾市)~天守が二の丸にあった城~ (三河国旅行編その2)
南に進み、県道12号線で、西尾市街に入り、西尾駅前の花ノ木町4丁目の交差点を右折し、
なぜお茶なのか?は、進んでいくとわかりました。
駐車場の本当にすぐ前に大きな門があります。これほどアクセスの良いお城はあまりないです。
しかも、町中にあるのに、駐車場はうれしいことに無料でした。
ただしこちら側は、門の内側でした。
鍮石門(ちゅうじゃくもん)です。門の前には、藤棚がありました。
再建されたものですが、間口約9m、奥行き約5m、高さ約7mのなかなか立派な櫓門です。
城主の政治、生活の場所である二の丸御殿の玄関の前にあった重要な門でした。
城主の政治、生活の場所である二の丸御殿の玄関の前にあった重要な門でした。
鍮石門から歩いて行くと、右手に丸馬出跡があります。
白い砂が敷かれた部分が堀で、その中の堀で丸く囲まれた部分が、丸馬出と呼ばれる
白い砂が敷かれた部分が堀で、その中の堀で丸く囲まれた部分が、丸馬出と呼ばれる
小曲輪で、出陣前の集合場所や、城門の虎口を守るための施設です。
その先に、京都から移築されたという旧近衛邸があります。
西尾市ホームページによると、摂家筆頭として左大臣を務めた近衛忠房に嫁いだ夫人の縁で、
島津家によって江戸後期に建てられたもので、書院と茶室からなっています。
西尾市は、お茶どころということで、市民の方が、お茶を点てていました。
西尾市ホームページによると、摂家筆頭として左大臣を務めた近衛忠房に嫁いだ夫人の縁で、
島津家によって江戸後期に建てられたもので、書院と茶室からなっています。
西尾市は、お茶どころということで、市民の方が、お茶を点てていました。
このあたりは、二の丸で、左手には、復元された本丸丑寅櫓があるはずですが、
木が生い茂っていて、ほとんど見えません。
鍮石門と丑寅櫓が入った写真が撮れないので、ちょっと残念ですね。
本丸跡には、西尾神社があります。
そのままですが、西尾城祉の石碑です。
丑寅(うしとら)櫓は、無料で開放されていることがわかりました。
しかも、時間は午前9時30分~午後4時までで、時間的に4時前でしたので、
慌てて入ることにしました。
何段か階段を上がって、いよいよ丑寅(うしとら)櫓に入ろうというところで、また次回です。
ランキングに参加しています。
[住所] 西尾市錦城町231番地1
[櫓入城時間] 9:30~16:00
[入城料] 無料
[馬場(駐車場)] あり(無料)