初夏の大垣城 其の一(大垣市)~新緑に映える白い天守~

初夏の大垣城 其の一(大垣市)~新緑に映える白い天守

まだ6月なのに、猛暑になっています。
急に暑くなったので、体もついていかないです。

いろいろなお城を回りながら、地元の大垣城には、久しく登ったことがないなと思っていたので
先日少し時間があった時に、天守に登ってみることにしました。
 
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今年冬までに改装されて、きれいになった天守が新緑によく映えています。

季節ごとに、ほぼ同じ構図で撮っている写真がありましたので、並べてみました。
 
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晩冬(2月)の大垣城です。
 
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初春(4月)の大垣城です。
 
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初夏(6月)の大垣城です。
四季折々の顔を見せています。
 
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天守西側に「おあむの松」があります。
関ヶ原の戦い後、西軍石田三成方として大垣城に籠城していた山田玄暦と娘の「おあむ」は、
山田玄暦が徳川家康の手習い師匠であったので、特別に逃すと伝えられ、おあむと父母は、
西堀端の松の木から堀のたらい舟に乗り移って、西岸に逃れたそうです。
そのことから、その松は、「おあむの松」と呼ばれるようになりました。
第二次世界大戦前に枯れましたが、植え継がれ、現在は「二代おあむの松」になっています。
 
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天守の石垣に「明治二十九年大洪水点」の線がつけられています。
1896(明治二九年)年7月に降水量378ミリの雨が降り、揖斐川の今福や水門川など
46箇所が破堤して、大洪水になりました。
この水害から復旧中の9月に台風による暴風雨となり、再び各河川で破堤して、大垣町の
約80%の家屋が屋根まで達する軒上浸水となりました。
水門川より内側の大垣城の総構えの中は、微高地となっており、さらに、天守の石垣は、
少し盛り上がって高くなったところに建てられていますが、この石垣の途中まで水が来た
ということは、想像を絶する大水害だったのだろうと思います。
 
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大垣市は、現在も豊富な自噴水が湧き出る「水の都」として知られています。
大垣城は、濃尾平野の中に立つ平城ですので、周囲を何重もの水堀に囲まれていました。
しかし、現在内堀はすべて埋め立てられて、跡形もありません。
外堀の流れは、北、西側が水門川、東、南側は牛屋川となって残っています。
 
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大垣城は、いつも見ると、何かもの足りないなと思うのですが、やはり城には、
石垣の前に堀が必要だと思います。
できれば、この西側にでも、水堀が復元できれば、もっと雰囲気が出るのに残念だと
個人的には思います。
 
メンテナンスがあるようなので、今回も天守に登る前に次回に続きます。

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