三塚城(大垣市)の城攻め

三塚城(大垣市)の城攻め

大垣市のお城と言えば、大垣城ですが、他にもいくつかお城があったそうです。
ただし、お城と言っても、一般にイメージされる天守のあるようなものではなく、
館や砦のようなものだったと思います。
 
大垣市中心部からは、国道258号線の伝馬町の交差点を東に進み、
ロックシティの前を通り過ぎて、ファミリーマート手前の道を左折したところにある
三塚城跡大垣市)の紹介です。
 
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まこと幼稚園の生け垣の中に「三塚城跡」の石碑が建てられていますが、
それ以外の遺構は、全くありません。
 
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大垣城主であった氏家直元(ト全)の家臣で、種田信濃守兼久が城主でしたが、
元亀二(1571)年の織田信長長島一向一揆攻めに氏家ト全とともに出陣し、
討死してしまったそうです。

その後ト全の嫡子の
左京亮直重が大垣城主となり、その弟内膳正行広が
三塚城主となりましたが、天正十一年に桑名城に移されました。
その後、氏家行広は慶長五(1600)年の関ヶ原合戦において、西軍に加わったため、
改易されたそうです。
 
地元の人もほとんど知られていないお城の跡には、今では全く面影もありませんでした。
 
三塚城跡
[住所] 岐阜県大垣市三塚町
 
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