2011-03-09 三塚城(大垣市)の城攻め 城巡り #歴史 三塚城(大垣市)の城攻め 大垣市のお城と言えば、大垣城ですが、他にもいくつかお城があったそうです。 ただし、お城と言っても、一般にイメージされる天守のあるようなものではなく、 館や砦のようなものだったと思います。 大垣市中心部からは、国道258号線の伝馬町の交差点を東に進み、 ロックシティの前を通り過ぎて、ファミリーマート手前の道を左折したところにある 三塚城跡(大垣市)の紹介です。 まこと幼稚園の生け垣の中に「三塚城跡」の石碑が建てられていますが、 それ以外の遺構は、全くありません。 大垣城主であった氏家直元(ト全)の家臣で、種田信濃守兼久が城主でしたが、 元亀二(1571)年の織田信長の長島一向一揆攻めに氏家ト全とともに出陣し、 討死してしまったそうです。 その後ト全の嫡子の左京亮直重が大垣城主となり、その弟内膳正行広が 三塚城主となりましたが、天正十一年に桑名城に移されました。 その後、氏家行広は慶長五(1600)年の関ヶ原合戦において、西軍に加わったため、 改易されたそうです。 地元の人もほとんど知られていないお城の跡には、今では全く面影もありませんでした。 三塚城跡 [住所] 岐阜県大垣市三塚町 ランキングに参加しています。 詳しい地図で見る