タルイピアセンター歴史民俗資料館(垂井町)に行きました。その3

タルイピアセンター歴史民俗資料館(垂井町)に行きました。その3

前々回からのタルイピアセンターの最終回で、先日訪れた垂井宿についてです。
 
宿場の営み
 
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垂井宿は、江戸時代に江戸と京を結んだ中山道の58番目の宿場町として栄えました。
 
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垂井宿の模型です。
手前が東の江戸方面、奥が西の京都方面で、中山道に沿って、宿場町が並んでいて、
途中に枡形があるのがよくわかります。
上の川が相川です。
 
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相川の人足渡しの絵です。
相川は暴れ川であったため、橋がかけられず、このように人が担いで渡ったそうです。
今は桜や鯉のぼりで有名な穏やかな川ですが、考えられませんね。
 
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本陣の図面、脇本陣の門が移築された本龍寺高札場です。
本龍寺は、垂井宿のその2で行きました。
 
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垂井宿のその1で登場した現在も営業している旅籠亀丸屋の当時の復元模型や
間取図です。
 
くらしと信仰
 
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タルイピアセンターは、国府が置かれ、美濃地方の中心地として栄えた古代から、
天才軍師竹中半兵衛の活躍した中世、中山道の垂井宿として栄えた近世までの
垂井町の歴史がよくわかる資料館でした。
 
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